横田慎太郎さん3度目の命日、阪神の同期が語った忘れられない思い

元阪神タイガースの横田慎太郎さんが亡くなってから、3年がたちました。7月18日の命日には、同期入団の選手やファンが横田さんとの思い出を振り返り、それぞれの形で祈りを捧げました。

この記事では、横田さんが歩んだ野球人生や、阪神の岩崎優投手と梅野隆太郎捕手が語った追悼の思い、映画を通じて受け継がれる姿について紹介します。

1. 横田慎太郎さんが歩んだ阪神での野球人生

横田慎太郎さんは1995年生まれの元プロ野球選手です。2013年のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受け、将来を期待される外野手としてプロの世界に入りました。

持ち前の高い身体能力を生かし、1軍で活躍する兆しを見せていた横田さんですが、21歳のときに脳腫瘍が見つかります。治療とリハビリを続けながら復帰を目指したものの、病気の影響でボールが二重に見えるなど、野球を続けるうえで大きな困難を抱えていました。

それでも横田さんは最後まで野球と向き合い、2019年に現役を引退しました。その後も自身の経験を伝える講演活動などに取り組みましたが、2023年7月18日、28歳の若さで亡くなりました。

2. 引退試合で生まれた「奇跡のバックホーム」

横田さんの名前を多くのファンの記憶に刻んだのが、2019年の引退試合で見せたバックホームです。バックホームとは、外野手が本塁へ向かって送球し、得点を防ごうとするプレーを指します。

当時の横田さんは、病気の影響によってボールが二重に見える状態でした。それでもセンターから本塁へ力強く投げたボールは正確に届き、球場を大きく沸かせました。

厳しい状況でも最後までプレーを諦めなかった姿から、このまでプレ送球は「奇跡のバックホーム」と呼ばれるようになります。単なる好プレーではなく、横田さんが積み重ねてきた努力や、野球への強い思いを象徴する場面として語り継がれています。

3. 岩崎優投手と梅野隆太郎捕手が語った追悼の思い

横田さんの3度目の命日を迎え、阪神で同期入団した岩崎優投手は、訃報を知った日の記憶を振り返りました。新幹線に乗っているときに知らせを受けた当時の出来事は、年月がたっても忘れられない記憶として残っているようです。

梅野隆太郎捕手も、横田さんへの特別な思いを抱きながら試合に臨みました。横田さんの追悼試合で大山悠輔選手が放った逆転ホームランについて、梅野捕手は「ヨコが運んでくれた」と表現しています。「ヨコ」は、仲間たちが横田さんを呼んでいた愛称です。

この言葉からは、横田さんが亡くなった後も、チームメートの心の中で一緒に戦い続けていることが伝わります。同期にとって横田さんは、過去の思い出の中だけにいる存在ではなく、現在も努力する力を与えてくれる大切な仲間なのでしょう。

4. 映画と阪神ファンに受け継がれる横田慎太郎さんの姿

横田さんの人生と「奇跡のバックホーム」は、映画『栄光のバックホーム』でも描かれています。3度目の命日となった2026年7月18日には、全国の映画館で追悼上映会が行われ、多くの人がスクリーンを通じて横田さんの生き方に触れました。

映画は、横田さんの野球人生だけでなく、病気と向き合う姿や、家族、仲間に支えられながら歩んだ日々を伝える作品です。野球に詳しくない人でも、目標に向かって努力することや、周囲の人とのつながりについて考えるきっかけになります。

阪神ファンの間でも、7月18日は特別な日として受け止められています。試合を見守りながら「ヨコのために」と勝利を願う声もあり、横田さんへの思いは選手だけでなく、ファンの心にも深く残っています。

まとめ

横田慎太郎さんが亡くなってから3年がたちましたが、その存在は今も阪神の仲間やファンの心の中で生き続けています。岩崎優投手が忘れられない記憶を振り返り、梅野隆太郎捕手が「ヨコが運んでくれた」と語った言葉からも、仲間との強い絆が伝わります。

引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」や映画『栄光のバックホーム』は、困難な状況でも諦めずに進むことの大切さを教えてくれます。横田さんが残した姿を振り返りながら、目の前の一日を大切に過ごしていきたいものです。

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自分も命日になると横田さんの映像を見返してしまいます。なんか時間は過ぎても、あの引退試合だけは昨日のことみたいに思い出すんですよね…。同期の皆さんが今でも名前を口にするのを聞くと、本当に大きな存在だったんだなと感じます。